2017年9月末、ゴールドマン・サックス(GS)でマネージング・ディレクター(MD)を務める瓜生英敏氏は、神妙な面持ちでGS日本法人社長の持田昌典氏と向き合っていた。それは、瓜生氏が担当し経済界が固唾を呑んで見守る東芝メモリ(現キオクシア)の売却案件が、決着した翌朝のこと。「これで僕は辞めようと思います」-。“功労者”の予期せぬ一言に、持田氏は驚きを隠さない。「何を言っているんだ?」。だが瓜生氏は、迷いなく次の一歩を踏み出す。転職先に選んだビザスクでは、仕事観を変えざるを得ないほどの“異文化”が待ち受けていた。
10万人超の将来を背負う「投げ出せない」案件。激闘を越え新天地へ
「今の案件が落ち着いたら、辞める」。退職宣言の約2カ月前、既に瓜生氏は固く誓っていた。
GSには約20年勤め、特に最後の数年はテクノロジー関連企業などのカバレッジを担う組織「TMT」のシニアMDと、分野横断的にM&Aの重要案件を執行する役を兼任。案件獲得から執行まで三面六臂の活躍を見せ、「大いに楽しんだ」という。
だが一方で、「やりたいことはやり尽くしつつある」という気持ちも、芽生えていた。次第にそうした想いは「今までと全く違うことをやり、もっと成長したい」という挑戦意欲に発展。そして2017年の夏、「たった1回の人生でこのまま同じことやるのが本当にハッピーなのか…」と、想いはある種の臨界点に達し、転職の決断に至った。
ただ当時の瓜生氏にとって、「今の案件」は簡単に投げ出せるものではなかった。東芝の半導体子会社、東芝メモリの売却案件―。米国原子力事業の損失で債務超過に陥った東芝は、上場廃止を免れるため、稼ぎ頭だった東芝メモリの売却を計画。M&Aアドバイザーとして“ディール”を先導する瓜生氏の双肩には、10万人を超える東芝従業員の将来がかかっていた。
「チームのメンバーは常に疲労困憊。ボロボロになりながら案件を進めた」という。
瓜生氏らが四苦八苦しながら利害関係者の調整などに努めた結果、東芝は同年9月に米国PEファンドのベインキャピタルを軸とする「日米韓連合」と売却契約を締結。激闘をくぐり抜け「心の底からホッとした」という瓜生氏は、晴れてGSを後にし、大学とGSで後輩だった端羽英子CEOが率いるビザスクへの参画を決意。翌年2月から、同社CFOとして新たなキャリアをスタートさせた。
「え、1on1って何?何やるの?」。転職で目の当たりにした“異文化”
ただ、外資金融からベンチャーへの転職は当初、百戦錬磨の元敏腕バンカーをも困惑させた。「ギャップの最大の理由は、自分がプロフェッショナルファームでの経験しか持っていなかったこと」と瓜生氏は振り返る。
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